2012年6月5日火曜日

淡窓詩話(5)

淡窓詩話(5)は、韋蘇州についての論評です。


韋蘇州が詩も陶に本けり。最も五古に長ぜり。專ら文選を學びたるものにして、六朝の遺音あり。其近體は大暦の調にして、初て盛唐を變じて中唐となすものなり。


陶韋並び稱すること、白香山に始まれり。韋柳並び稱するは、蘇東坡に始まりしなるべし。何れも善く配合したるものにて、古人識鑒(シキカン)の明かなること、嘆稱するに餘りあり。


陶韋相似たる處は、冲澹(チュウタン)閒遠の趣なり。其別を言はヾ、陶は清、韋は和、陶は淡、韋は濃なり。之を德行に譬ふれば、陶は伯夷に似たり、韋は柳下惠に似たり。陶詩を學ぶ者、或は枯槁(ココウ)に墮つることあり。韋詩は極めて滋潤なり。若し專ら韋を學ぶときは、弱に墮つるの病あり。陶韋兼學ぶときは、交も相補うて其宜しきを得べし。


韋蘇州が集、極めて誤字多し。故に詩中に語を成さヾる所往々あり。予韋の詩を抄するに、頗る改竄する所あり。必ずし も作者の眞に非ずと雖も、坊本の誤あるには勝れり。


王韋並び稱することも、往々に見えたり。是れ何れも冲澹の中、溫麗を帶びたる所よりして稱するものなり。韋が才力は遠く王に及ばず。然れども五古は却て勝れり。王が五古は、俊爽にして古色に乏し。全く唐韻なり。韋は古拙にして、六朝の遺音を帶びたり。韋が近體は王が雅健なるに及ばずと雖も、優婉の趣は勝れり。