2012年6月7日木曜日

淡窓詩話(7)

淡窓詩話(7)は、高青邱についての論評です。

○問 高青邱が詩、明朝第一なる由、妙處如何。又竈諸體の長短如何。


高青邱が詩、第一たることは趙甌北の説なり。予は明人の集を盡讀みたるには非ず。然れども一代の大家、李何王李徐袁鍾譚などの集の妙錄せしものを讀みて、其一班を窺ふに、其體皆一偏にして、中正ならず。高が純粹中正なるに如かず。これに由りて趙が説の誣言(フゲン)に非ることを知れり。明人の詩は、皆門戸を張り、同調を誘引し、己れに異なるを排撃して、勝つことを求むるを主とせり。是れ其體の一偏に流るヽ所以なり。高が時までは、未だそれ等の事あらず。故に中道を得たりと思はる。


高が詩は、七古七律最も長ぜり。五古五律之に次ぐ。絶句は其所長に非ず。