2012年6月14日木曜日

淡窓詩話(13)

問 一句一聯の妙處は、古人の論を聞きて之を曉れり。篇法の妙に至りては、未だ窺ひ知ること能はず。願はくば其一端を聞かん。

漢魏の詩は、皆篇法の妙のみて、字句を摘んで論ず可からず。但し其篇法と云ふもの、自然に出づ。人力を以て造作するに非ず。六朝以來始めて佳句あり。是に於て句法篇法の説あり。畢竟一篇の妙處と云ふものは、論じ難きものなり。今强て其一二を擧げんに、陶淵明が「採菊東籬下。悠然見南山。」(「雜詩」 結廬在人境。而無車馬喧。問君何能爾。心遠地自偏。採菊東籬下。悠然見南山。山氣日夕佳。飛鳥相與還。此中有眞意。欲辨已忘言。)、の二句を古今佳句と稱すれども、實は此十字のみにては、何の妙もなし。前に「結廬在人境。而無車馬喧。問君何能爾。心遠地自偏。」、と四句問答を設けて、身塵中に在りて、心塵外に遊ぶことを叙ぶ。是れ虛叙なり。「採菊」以下の六句、一時の景を寫し、以て前の言を實にす。是れ實叙なり。若し「採菊」の二句を初に置きて、後半虛叙を用ふることなれば、誰も能くすることなり。唯だ虛を以て起し、實を以て結び、「採菊」の二句、中間に在りて轉換する處、甚だ妙なり。韋蘇州が幽居の詩(「幽居」 貴賤雖等。出門皆有營。獨無外物牽。遂此幽居情。微雨夜來過。不知春草生。青山忽已曙。鳥雀繞舍鳴。時與道人偶。或隨樵者行。自當蹇劣。誰謂薄世榮。)、亦陶が法を學ぶものなり。「貴賤雖等」の四句、己れが幽居無營の平生を叙ぶ。而して後ち、中間に「微雨夜來過」の四句を安置す。是れ唯一朝の景にして、幽居の情狀宛然たり。陶が「結盧」の四句、卽ち韋が貴賤の四句なり。陶が「採菊」の四句、卽ち韋が微雨の四句なり。二詩皆前後に平生を虛叙し、中間に一時の景を實叙す。篇法の妙、雋永(センエイ)にして味ふべし。若し專ら虛叙を用ひ。又專ら實叙を用ひ、或は前半を實叙にして、後半虛叙ならば、如何ぞ此の如きの味あらんや。

(14)へ続く