2012年6月21日木曜日

淡窓詩話(19)

○問 古人佳句と稱するもの、必しも佳句に非るものあるべし。古人の稱せざるもの、亦佳句あるべし。願はくは其一二を聞かん。


古人の論、固より當否あるべし。予淺學にして、廣く古の詩話等を閲すること能はず。閲することあるも、記憶するに暇あらず。今一二心に記したるものを擧げて云はんに、少陵が「關塞極天惟鳥道」(「秋興八首之一」昆明池水漢時功。武帝旌旗在眼中。織女機絲虛夜月。石鯨鱗甲動秋風。波漂菰米沈雲黑。露冷蓮房墜粉紅。關塞極天惟鳥道。江湖滿地一漁翁。)の二句を明人妙結と云へり。予が見る所を以てするに、此二句斷えて味なし。結末に至つて計窮し、對結を以てまぎらすたるものなり。全く「英雄欺人」の手段なり。少陵は窮するときは必ず對句を用ふ。猶ほ太白が歌行に長語を雜ふるが如し。又「江漢思歸客。乾坤一腐儒。」(「江漢」江漢思歸客。乾坤一腐儒。片雲天共遠。永夜月同孤。落日心猶壯。秋風病欲蘇。古來存老馬。不必取長途。)と云ふ起句を宋人撃節したり。是亦强對にして味なし。唐詩選の「主人不相識。」(「題袁氏別業」主人不相識。偶坐爲林泉。莫謾愁(一レ)酒。囊中自有錢。)の五絶、天下に傳稱する處なり。如此粗俗拙惡の作は、五尺の童と雖も能すべきものと思はる。凡て唐詩選の中にも惡作多し。枚擧するに暇あらず。王昌齢が「荷葉羅裙一色栽」(「採蓮曲」荷葉羅裙一色裁。芙蓉向臉兩邊開。亂入池中看不見。聞歌始覺有人來。)の詩、醜惡の極なり。高廷禮が品彙に之を選みたるは何ぞや。詩の道に達したる人とは言ひ難し。少陵が「風急天高」の詩(「九日」風急天高猿嘯哀。渚淸沙白鳥飛廻。無邊落木蕭々下。不盡長江滾々來。萬里悲秋常作客。百年多病獨登臺。艱難苦恨繁霜鬢。潦倒新停濁酒盃。)を明人古今七律の第一と稱せり。予が見る所を以てするに、三四の一聯取るべし。全篇は甚だ粗作なり。明人の詩論、取るに足らざるもの極めて多し。白樂天が「朝露貪名利。夕陽憂子孫。」の句を、乾隆大に稱して、淵明に似たり云へり。如此至俗の句は、樂天にも亦稀なるべし。何の淵明に似たることかあらん。黄山谷が「人得交遊是風月。天開圖畫卽江山。」と云ふ句を、甚だ得意して、屢〻書して人に示せし由、甚しき俗句なり。如此の類、追〻に思ひ出して之を擧げば、如何程もあるべきなり。若又古人の稱せざりし佳句を擧げば、誠に多かるべし。然れども予が所見廣からず。古人何れの處に於て賞したらんも計り難し。何ぞ遽に吾獨り知れりとと言ふことを得んや。故に姑く之を略す。