2012年6月30日土曜日

淡窓詩話(23)

淡窓詩話(22)の続きです。

◯ 中川玄佳問 詩を作るの要、何を以て先とすべきや。


佳句は多くは景を寫す句にあり。然れども景を言ふこと、一首の中に多くすべからず。多き時は人をして厭はしむ。情を主として景を以て其間に粧點すべし。例レ之は、前庭に樹木を植うるは景なり。空地は情なり。樹木多くして空地なきはうるさし。空地ありて樹木なければ、玩賞すべき物なきが如し。

長篇を作るは、叙事に宜し。北征(五古)長恨歌(七古)の如きなり。其事もと觀る可くして、而後辭を以て之を飾る。故に讀人倦むことなし。今人の詩は、叙事にも非ず。口に任せて漫然として言ふ。自ら其長きを覺えず。大に讀者をして苦ましむ。予嘗て曰、「詩文能使讀者不(一レ)倦。乃可名家矣。」

近人所著の古詩韻範は、古詩用韻の法を明にせり。其說必しも拘るべからずと雖も。一読して可なり。

至て微細の景を寫すこと少陵に始まる。但五言に宜しくして、七言に宜しからず。「仰蜂粘落絮。行蟻上枯梨。芹泥隨燕嘴。花蘂上蜂鬚。」、皆五言の佳句なり。七言には此類見當らず。

七絶に瑣屑の事を述べて巧を顯すこと、范石湖が田園雜詩六十首を最とす。今の人紛々として其體を學ぶ。予は此體を悅ばず。石湖は爲めにすることありて作りし由聞及べり。

送別の詩專ら別情を寫し、輓詩專ら哀情を寫すの類、粘着して善からず。且つ熟套に墮ち易し。其人の平生を述べて、別情哀情は結末などに數語を用ひ、淡々に寫すを善しとす。此の如くなれ ば、筆力高く、且つ熟套を避くるに宜し。

雪月の類を寫す。是亦淡筆を用ふるを善しとす。叙述愈詳なれば、人をして愈厭靂はしむ。

王漁洋露筋祠に題して、守節の事を云はす。熟套を避くるなり。予が「謁菅廟」の詩に、遷謫の事を云はざるも、亦熟套を避くるなり。

詠物は纖巧に落ちて、體格下り易し。多く作らざるを善しのとす。若し作らば、梅櫻雪月等の物は熟套に落ち易し。珍奇なる物を詠ずべし。且つ寓意を用ふべし。是れ少陵が家法なり。

詩に風土を述ぶること、中晩唐に多し。樂天最も長ぜり。此の如くなれば、一首の中叙景多しと雖も害なし。送別に此體を用ふれば、熟套を避くるに易し。但今世流行の竹枝詞の如き厭ふべし。善きことも、節に過ぐれば皆惡し。予が言ふ所は、送別紀行などの中に風土をまぜて作るなり。

唐人の詩は法則正し。則るべし。初盛中晩、皆然り。宋詩は唐詩の正大なるに及ばず。宋詩の趣は愛すべし。其法は妄に學ぶべからず。唐人を師とするには如かず。七言律最も宋を學ぶべからず。

杜詩は學び易からず。之を學ばんとならば、五古七古五律を學ぶべし。七律は極めて學び難し。之を學べば、局促して伸ぶることを得ず。

白樂天の詩、平易條暢にして學び易し。其集中に就き、整齊なる詩を抄録して、之を讀めば、學者に益あり。其中の大冗大易大熟なる處は、學ぶべからず。

多く作りて長く作りて、人の厭はざることを欲せば、叙事を務むべし。少陵其開祖なり。樂天放翁皆其流亞なり。短く作りて少く作りて、世に傳はらんことを欲せば、王孟韋柳を學ぶべし。

王孟韋柳の體、其情景を寫す處、皆多言を用ひず。唯一句一聯の中に於て、其情狀をして宛然たらしむ。溫藉含蓄を主として、詳密富贍を好まず。今人此趣を知る人少し。

中晩唐の中に於て、其穩秀なる詩を擇び、朝夕之を諷詠すれば、大に學者に益あり。晩唐の詩と清人の詩は、最も讀者に卽效あり。