2012年7月6日金曜日

淡窓詩話(28)

問 五七絶を作るには、如何心得べきや。


藝苑巵言に、五絶は陶弘景が「山中何所有。嶺上多白雲。只可自怡悦。不持贈(一レ)君。」、また唐人の「打起黄鶯兒。莫枝上啼。啼時驚妾夢。不遼西。」此二首を擧げて、五絶を學ぶの法とす。何れも其體高古にして、五絶の妙境と謂ふべし。然れども今の人之を學ば﹅、恐らくは模擬に落ちて眞を失はん。先づ今人の學び易き處を言はヾ、「漢國山河在。秦陵草樹深。暮雲千里色。無處不(一レ)心。」、是等の學ば﹅可なるべし。起二句を對にして古跡を叙べ、轉結に懷古の情を叙ぶること、其體裁法度見るべき處あり。學ぶ者力を着け易し、又「勸君金屈巵。滿酌不辭。花發多風雨。人生足別離。」、起二句の意を轉結に解し、對を以て収めたる處味あり。其法學ぶに宜し。是其一二を擧ぐるなり。委しくは予が古今の詩を雜抄せしものあり。其中に存したり。爰贅せず。

五絶は唐以前よりある體なり。故に古色あるを貴ぶ。總べて五言は高古を貴び、七言は清新流暢を貴ぶ。古、律、絶、皆然り。是五言の七言に異なる所以なり。

七絶は當世の詩人、專ら精神を此一體に役す。故に七絶に巧なる者多し。予此體に長ぜず。格別論ずべき筋を知らず。

絶句は轉結を主とするものなり。起承は如何程巧なるも、轉結拙くては觀るに足らず。起承拙くとも、轉結巧なれば、其詩存するに足れり。故に預め轉結を多く作り置きて、時に臨み之を用ふべし。是は如何敷ことなれども、未熟の人は其心得なく、轉結に至りて窮することあり。故に云ふ。

詩は韻脚の字を擇むべきことなり。絶句に至りては、最も然りとす。乃ち結句に韻中第一の好き字を用ふべし。例之は一東なれば風の字中の字、十灰なれば來の字、十一眞なれば人の字、十五刪なれば山の字間の字の類なり。若し一東にて窮の字、灰にて裁の字、眞にて頻の字、刪にて班の字などを結句に用ひて、佳作あること、予未だ之を見ず。王維が名高き七絶の「西出陽關故人(「送元二使安西」 渭城朝雨浥輕塵。客舎靑々柳色新。勸君更盡一杯酒。西出陽關故人。)、「遍挿茱萸一人(「九月九日憶山東兄弟」 獨在異鄕異客。毎逢佳節倍思親。遙知兄弟登高處。 遍挿茱萸一人 。)、「楊柳青々渡水人」(「寒食汜上」 黄武城邊逢暮春。汶陽歸客涙沾巾。落花寂々啼山鳥。楊柳靑々渡水人。)など、以て知るべし。皆結句に人の字を用ひたり。凡そ韻脚の堅からざるは、柱を立つるに礎の穏かならざるが如し。礎正しくして、而後柱正し。柱正しくして、而後屋舎正しきを得るなり。詩の韻脚も亦斯の如し。絶句は含蓄を貴ぶ。結句不盡の意あるべし。

七言絶句は清人極めて長せり。必ず新しき趣向あり。之を讀めば、人をして趣向を生ぜしむ。予七絶を作る毎に、必ず先づ清人の詩一巻を披閲するを例とせり。